ひまわりの展覧会へのみちしるべ
2004年12月

■2003/12/15 (月) 「ピカソ・クラシック 1914-1925」

書かなきゃ、書かなきゃ、と思いつつ、一ヶ月近く時間が経ってしまいました。
そして、上野の森美術館でやっていたこの展覧会、ついに昨日で終わってしまいました。
土曜日に頑張ってUPしようと思ったんですけど、どうしても気力が出ませんでした。
最近、なにをしてもダメダメな気がします。
一番やらなくてはいけないことからばかり逃げちゃっているんですよね。。。(ため息)

ま、そんな愚痴を言っていても仕方ないので、本題にはいりましょうか。
ピカソ展と名のつくものは、毎年どこかしらでやっているように思うのですが、この展覧会は、ピカソの古典主義時代に焦点を絞っていて、テーマがはっきりしていることに興味をひかれて行ってみました。
その期待を裏切らず、彼の古典主義時代を理解するのには、なかなかわかりやすい展覧会だったと思います。

展示作品は、日本初公開の作品が多いことを売りにしていたのですが、そのぶん、デッサンや素描、明らかに未完成などが多かったです。
反面、点描で描かれた作品や、一筆描きの作品など、技法をいろいろ試している過程がうがかわれる作品が展示してあったのが、興味深かったです。

特に、ピカソがデザインした舞台装置や衣装などに、かなりのスペースを割いていました。
ピカソの古典主義時代を語る上で、正妻オルガの存在は欠かせないのですが、彼女がバレリーナだったことも含めて、ピカソ作品に、演劇が大きな影響を与えていたことを再認識させられました。
ピカソのデザインした舞台映像を見ることができるコーナーもあったのですが、今見てもかなり前衛的な感じで、一般人が見たら、かなり難解な舞台だったのは、間違いないと思います。

数年前に東京都現代美術館で、ピカソがデザインした舞台の幕を見たことがあるのですが、その幕は、この展覧会で紹介されていた舞台デザインの一環として作られたものだったようです。
東京都現代美術館では、3階まで吹き抜けになっているスペースを利用して、幕を展示してあったのですが、単品だったので、それが使われた経緯など全く理解できないまま、大きさに圧倒されただけで、帰ってきてしまいました。
この展覧会をみて、幕が使われた舞台のイメージが多少なりとも理解できたのは、個人的には嬉しかったです。
もし、あの巨大な幕が、この展覧会に来ていたら、この展覧会の完成度はさらにUPしたのではないかと思います。舞台衣装のデッサンなどの小作品の意味もより伝わりやすくなったでしょうし、並べて見ることができないのは、残念なことだと思わずにはいられませんでした。

あと、印象に残っているのは、「水浴」や「泉」など、どっしりしたフォルムの女性が描かれた連作です。
特に手のデッサンからは、目を離すことができませんでした。
なんといったらいいのか、、、ふっくらとやわらかなのに、力強いとでもいうのでしょうか。
手全体が、子供のように丸っこくて、指なんて手としての機能を果たせるのかしら?と思うくらい、ちんまりとしているのに、すべてを包み込む母性をたたえているという感じがするんです。

少々余談になりますが、有元利夫さんって、このころのピカソの作品と同じような視点で、古典美術を取り入れようとしていたような気がします。

息子パウロがアルルカンに扮している作品に、「僕また来ちゃいました」というコピーをつけていたのには、少々閉口しましたが、それ以外は、特にウザイところはなく、楽しく作品をみることができました。

…それにしても、ピカソほど、一言で語ることが難しい画家はいないと思います。
残された膨大な作品群は、その多様性ゆえに、さまざまな角度から見るものに刺激を与えてくれます。
けれども、どんなに穏やかな作風の作品であっても、精神的な安らぎを与えない、しかし、一度みたら目を離せない、ある種の麻薬のようなパワーがあると思います。
そしてそれこそが、ピカソの魅力なんだということを、再認識させられた展覧会でした。

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■2003/12/16 (火) 森美術館「ハピネス」展

この秋一番、マスコミが取り上げた展覧会・・・だと思います。
六本木ヒルズの最上階というすばらしくオサレな立地条件に位置する森美術館は、展覧会チケットで、展望台にも入れるという、まさにデートコースにぴったり♪な美術館です。
しかも、開館時間が長くて(金土日はなんと深夜12時まで開館!)、仕事の後にも余裕で行けるという、民間企業ならではの気合と、いたれりつくせりのサービス精神に満ちた場所でもあります。
入館料が1500円とチトお高いのは痛いのですが、一度は見たいとずっと思っていた若冲の「鳥獣草木図屏風」が出展されるとあれば、行かないわけには行きません。
展覧会が始まって早々に行ってきました。

開館時間が長いことをいいことに、私は夜の7時ごろに会場に入ったのですが、会場はめちゃめちゃ広くて、みどころ満載、ふと気がつけば11時過ぎまで美術館のなかにいることになってしまいました。
予定では、展覧会を見た後に、豪華ディナーを食べるはずだったのに、なぜか近所の深夜営業のファミレスで、夜食、ということになってしまいました。せっかく六本木ヒルズに行ったのに。。。それだけが悔やまれてなりません(苦笑)

で、肝心の内容ですが、率直に言って面白かったです。
広い会場内には、現代物を中心に、仏像、リンガに、世界地図、モネやピカソや、映像などがあちこちちりばめられ、挙句の果てには、北斎の春画まで、百花繚乱、これでもかといわんばかりに、展示されていました。
ハピネスというよりも、カーニバルって感じでした。
ちょっとテンションが高すぎて無茶をはじめる寸前で止まっているような、ギリギリ感のある展示だったようにも思います。

ま、お金をかけているだけあって、この展覧会にあわせて作られた新作もいくつも出ていたし、外国から招聘したキュレーターが、いままでにない展覧会を見せます!と息巻いていただけあって、学芸員のエンターティナーとしてのセンスが存分に発揮されている展示でした。

世間の評判は、心なしか厳しいようにも思うのですが、現代美術になじみがなくて、むしろ苦手としている私のような人間が見ても、あー面白かった、と思えるのですから、とっつきやすさはあると思います。
美術館で遊ぶ、という感覚で鑑賞することができるという点において、評価すべき展覧会と言えるでしょう。

個人的な見所は、なんといっても若冲の「鳥獣草木図屏風」が見れたことにつきます。
まさにやっと会えたね。という感じです。
この作品、とにかく見ていただかなくては、そのおもしろさが伝わらないのがもどかしいのですが、方眼の升目で画面が構成されており、升目を塗り分けて、多種多様な動物が描かれています。
想像上の生き物に対する若沖の豊かな想像力と、方形の色面で画面を構成しなければならないという制約が、相乗効果を生んで非常におもしろい作品世界が作り上げられています。
一説によると、この方形の升目は、西陣織りなど織物の下絵にヒントを得て描かれたといわれています。詳しくはこちら
どのような経緯でかかれたのかは、さておき、このような独特な方法で描かれた作品は、本当に例がなく、江戸時代に描かれた作品にもかかわらず、最先端のアートに負けない、先鋭的な感性がほとばしっていました。
これを見ることができただけでも、入館料の元は取れたと思っています。

唯一残念だったのが、この作品の展示してある次の部屋から、ずーーーーーっと中国語で『はっぴばーすでーとぅーゆー』という歌声が鳴り響いていたことです。
なんで?という感じですが、この歌声も、映像を使った現代美術作品だったんです。これが非常に耳障りで、若沖の世界に入り込む大きな障害となってしまいました。

若沖の作品には、特に思い入れが深かったので、よけいにイライラしたのだと思うのですが、この問題は、ここだけでなく、会場全体の問題点だったように思います。
というのも、会場のあちこちに、映像に音声を駆使した作品が展示してあって、ほかの作品を見るときのじゃまになっていたのです。
とにかく会場が広いので、ずっと立ちっぱなしで見ているよりも、一休みするためのスペースがあるのは、悪くないと思うし、映像ブースで、作品を鑑賞しながら一休みできるのは、ありがたかったのですが、もう少し、防音効果というか、ほかの作品を鑑賞する際の妨げにならない方策が、必要だったように思います。

そのようないくつかの欠点がなかったわけではないのですが、夜景も堪能できたし、とにかく楽しむだけ楽しんででてきたという満足感はある展覧会だったと思います。
この美術館の今後の活動を大いに期待しています♪

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■2003/12/31 (水) 「国宝 大徳寺聚光院の襖絵」展

今年最後の更新は、今月半ばにすでに終わってしまった展覧会のレビューとなりました。
12月は結局、仕事に追われてしまって、一つも展覧会に行けませんでした。
今日レビューする展覧会を見たのは11月中旬だったので、まさかこれが、今年最後にいく展覧会になるとは思ってもいませんでした。
来月は今月行けなかった分も取り戻せるといいなと思っています。

東京国立博物館で開催していたこの展覧会、内容はいたって単純。
大徳寺聚光院に伝わる狩野松栄、永徳親子の描いた襖絵を紹介する展覧会でした。

今回の展覧会に出品されている永徳の襖絵は、狩野派の様式を確立した作品といわれています。
そういわれているだけあって、狩野派が生み出した時代の寵児、永徳の特質が、非常にわかりやすい形で現れている襖絵だったと思います。

特に『花鳥図』は、実物が、図版とは全く印象が違っていたので、新鮮な驚きがありました。
図版では、いかにも狩野派という感じの、大木と鶴などの鳥が描かれているだけの単調な作品という印象しかなかったのですが、実際に目にしてみると、線に迷いがなく、鳥や木の枝ぶりが非常に動的で、画面全体を、男らしいアクティブさと若さが支配していました。
戦国武将が気に入ったのも納得がいく、雄雄しさがあり、ある意味、狙いが非常にわかりやすい形で出ていたようにも思います。
こういう骨っぽさが、この時代のニーズを満たすのに必要な要素だったんだということを実感させられる作品でした。

こんな風に、図版で見たときと、実際に見るのとでは、全く印象が違う作品に出会うと、展覧会に来た甲斐があったというものです。
本当に美術鑑賞をしたいのならば、実際に見る機会を逃さないように、手間を惜しむことなく足を向けるべきだということを改めて痛感させられました。

一方、父である松栄は、永徳に比べると非常に柔和で、息子の才能を認めて、自分が一歩退くことができる人間であることが、作品の中からも伝わってきました。
なんというか、武士が台頭してくる時代に主役を張れるだけの、強さと華がない人だったんだと思います。
松栄の作品の中で、唯一楽しかったのは、虎の絵です。優しげでどことなくユーモラスな虎は、私にとっては親しみやすいものでした。
…そういえば、探幽の虎とどことなく面影が似ているようにも思いました。
そうであるならば、やはりこの人の作風も、狩野派のエッセンスとなって、後世に受け継がれているのでしょう。
なんといっても、狩野派は、先例を重んじる流派ですし。

会場内は、院内部の配置にあわせて襖絵を展示したりして、実際に使われている建物の雰囲気を再現しようと努力をしていました。ただ、ガラスケース越しに見ることにはかわりないので、多少、実際の配置を理解する手助けにはなっていたかなという程度の効果しか無かったように思います。
襖絵以外は、さほど見所のない展覧会だったので、全体的には、可もなく不可もない内容でした。

なお、この展覧会の会場の反対側では、伊能忠敬作成した地図の特別展も開かれていたのですが、時間がなくて、ほとんど見ることができませんでした。
自分の住んでいる場所の古い地名がわかったのが面白かった程度の印象しか残っていません(^^;

あと、常設展の方に、高雄観楓図屏風が展示してあったので、閉館時間ギリギリにもかかわらず、それだけ一応見てきました。
でも、息を切らせながら見るものじゃないですね★
一度見たいと思っていた作品だったにもかかわらず、残念ながら感動は殆どなかったです。

…とまぁ、こんな感じでしょうか。
今年のことは今年の内に、、、という感じのやっつけ仕事ですが、とりあえず年内にUPできてよかったです(^^:

さて、おかげさまで、一年間、このHPを続けることができました。
今年は、途中休止したせいもあり、メインページにはほとんど手を入れられなかったし、日記もかろうじて続けられたという感じではありますが、なんとか再開することが出来て、正直ホッとしています。
来年はもう少し更新頻度を上げることを目標に頑張るつもりです。
これからも今まで同様どうかよろしくお願いします。

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