ひまわりの展覧会へのみちしるべ
2002年12月

■2002/12/02 (月) スーラと新印象派展

これは、損保ジャパン東郷青児美術館で、12月8日まで開催している展覧会で、19世紀に流行った技法の一つ、点描技法に焦点をあてています。

点描技法とは、明るい画面を生み出すために、絵具をパレットの上で混ぜるのではなく、それぞれの色を小さなタッチで並べる事で、自然に近い色を捉えようとした技法です。
今、テレビやPCの画像の色は、細かいドットで構成されていますが、これを手作業で行ったものと考えていいと思います。

そして、その技法の創始者がスーラです。
残念ながら彼は、31歳で世を去ってしまいました。
でも、こんな気が遠くなるような、細密な作業を10年近くもやっていたのでは、命をすり減らすのも当然かも、、、と思わずにはいられませんでした。
それくらいの労力と時間を費やさなくては、作る事が出来ない作品だと思います。

展示は、最初にスーラの作品を見せた後、スーラの点描技法を受け継いだ人々の作品を展示するという構成になっていました。
点描技法が、科学的な分析に基づいて生み出されたものである事を、当時の書籍を交えて、体系的に展示していたのが面白かったです。

残念なことに、出品されているスーラの作品は、習作が多くて、完成作品も小型サイズのものばかりでした。
それでも、この人の繊細な色彩感覚を堪能することはできたと思います。
ただ、どうしても、大作や完成作を見た〜〜い!と思わずにはいられないので、フラストレーションが溜まった事は否めませんが★

全体をみて思ったのは、点描って、静物や風景のような比較的動きの少ない画面を描くのには、適した技法である反面、人物を描くのは難しい技法だということです。
丹念に描いている事が伝わってくる分、一瞬の場面を描いたという感じが伝わって来ないんですよね。
そのせいか、スーラ以外の作品で素敵だなぁ…と思える作品は、風景画ばかりでした。

でも不思議なことに、スーラの作品で印象的なものってどれも、人物の占める部分がすごく高いんですよね。
彼の代表作である《グランド・ジャッド島の日曜日の午後》はその典型ですし、今回展示されていた《「シャユ踊り」のための習作》を見ても、スーラ独自の動きのあるフォルムと、動線の巧みさに圧倒されてしまいました。
その点だけを見ても、彼のパイオニアとしての革新性が感じられると思います。

スーラ以外にも、点描で人物画を描いた作品は、数点展示されていたのですが、どれも、わざわざ点描技法で描かなくてもいいのに…と思うような、ありふれた人物像ばかりでした。
点描技法ならではの動き、を描く事が出来たのは、やっぱりスーラだけだったように思いました。

それにしても点描と一言でいっても、点の置き方や、色のバランスの一つをとっても、その人ならではの個性が感じられるものなんですね。
見比べると、それがはっきりわかって面白かったです。
比較する楽しみがある展覧会は、いいですね(^^)

スーラほど繊細で微妙な色調を持った人は、いなかったですが、マクシミリアン・リュースという人の描いた、夜景はとても印象的でした。
夜という素材を扱った作品が他に無かったこともあるかもしれませんが、スーラに比べて、色のコントラストがはっきりしている事と、その中に用いられた紫と緑の効果にインパクトがあったと思います。

あとは、シャルル・アングランの「ノルマンディーの畑」などは、これが点描?と思うくらい大きなドットと、どきつい配色の作品で、ほとんどフォーヴの世界に足を踏み入れている感じがしました(笑)

そういえば、ゴッホの作品も一つ展示されていたのですが、これも点描で描かれていました!
ゴッホもそんな作品を描いていたんですね。
様式が定まるまえの過渡的な作品だと思うのですが、穏やかな色調の点描作品は、とてもゴッホの作品とは思えない、のどかな風情を漂わせていたと思います。

この展覧会、切り口がいままでにない感じだったので、あまりメジャーな作品は展示されていなかったのにもかかわらず、見ごたえがありました。

ただ、解説パネルが小さ過ぎて、めちゃめちゃ見にくいのには閉口しました。
これは単なる推測なのですが、パネルに書いてある事は、図録の文章をそのまま使ったものではないかと思います。
だから、立って読むには情報が細かすぎて、それが読みにくさに拍車をかけていました。
展示パネルにもう少し配慮を加えるだけで、判りやすさも楽しさも倍増したと思います。
その点はとても残念でした。

あと、細かい事ではありますが、点描技法は、新印象派の始まりを告げた技法ではありますが、これが新印象派の技法の全てではないわけですから、新印象派展というタイトルはどうなのかなぁ。。。とチト引っかかってしまいました(^^;

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■2002/12/04 (水) そろそろクリスマス♪

というわけで、トップページをクリスマス風に変えてみました♪
アニメーションの入った壁紙を使っているので、重いかもしれません。
申し訳ありませんが、20日ほどの限定仕様なので、我慢していただけると嬉しいです。

実は、トップページのレイアウトを変えたのは、HP開設以来、初めてだったりします。
ちょっと、いつもの表紙に飽きはじめていたので、新鮮な感じ(^^)
今度、時間があるときに、リニューアルするのも悪くないかも、、、などど思い始めています。
やりだすと止まらなくなりそうで怖いケド、少し考えてみようかな。

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■2002/12/24 (火) メリークリスマス♪

…あ、まだイブですね(^^;
でも、イブのほうがメインな気がするのは私だけじゃないと思うんですけど、いかがでしょうか??

さて、すっかり間隔が開いてしまって申し訳ありません。
先月末から、急にいろいろ動き出した事があって、ゆっくり日記をかく時間がとれないでいました。
当然、展覧会にも行くことができなくて、今日も、今日で終わりの展覧会に慌てて駆け込むはめに陥りました。

行って来たのは、東京藝術大学大学美術館で開催していた 「ウィーン美術史美術館名品展 〜ルネサンスからバロックへ〜」展

行ったのが最終日の午後だっただけに、入場制限が行われていて、ちっとだけ並ぶ羽目に陥りました。もちろん会場も人だらけ。残念ながら、じっくり鑑賞することは、不可能な環境でした。
でも、これは当然予想されたことだし、早めに行かなかった私が悪いだけなので、文句を言うことはできないですね(^^;

そんなわけで、もともとざっと見るだけのつもりではあったのですが、滞在時間1時間弱という、予想を上回る早さで退散してしまいました(^^;

肝心の展覧会の内容は、ウィーン美術史美術館のダイジェスト版を見せていただいたって感じ。
「〜ルネサンスからバロックへ〜」というサブタイトルが示すとおり、美術館の所蔵品を、歴史の流れにしたがって展示しただけのベタな内容でした。
ざっと見ただけなので、来ている作品のレベル云々については、コメントできないのですが、無難にまとめましたねぇ。。。という印象しか残ってないです。

この展覧会のイチ押しは、ベラスケスの描いたマルガリータ王女の肖像画と、デューラーの描いた女性像だったのですが、人がいっぱいでじっくり見る事は不可能でした★
マルガリータ王女は、以前にも何度か目にしていたので、こんな環境で見ても仕方ない、と諦めがつくのですが、デューラーの作品は、もちっとじっくり見たかったです。

デューラーの婦人像は、考えていたよりも、ずっと小ぶりな作品でした。
印刷だと筆致の鋭さが際立った作品のように見えていたのに、予想以上にまろやかなマチエールを見せていたのは、意外な感じがしました。
こういう意外性に出会うと、生で見れてよかったなぁとしみじみ思ってしまいます。
でも、この作品、習作なんですかねぇ?服とかかなり薄塗りなのも意外でした。

あと、目を引いたのは、アルチンボルトの作品。
寓意画の一種なのですが、「水」の寓意を表した作品を例にとって説明すると、魚など様々な水棲生物をリアルに描いて組み合わせ、人の横顔を作り上げていました。
現代の感覚で鑑賞するならば、ほとんどトリックアートといっても良いでしょう。細部までじっくり鑑賞したくなる、ブラックユーモアを含んだ作品だと思います。
これが見られると知っていれば、もっと早く行ったのに、、、。残念★

(そうそう。どうでもよいことなのですが、この中に描き込まれたアザラシが妙に可愛かったです♪でっかい不気味なお魚に取り囲まれているのが、哀れでなりませんでした。実は、ワタクシ、たまちゃんブームのはるか前からの、かなりのアザラシファンなんです(笑))

他には、ルーベンスの描いたメドゥーサの首もリアルで怖かったです。
ルーベンスって、大型画面に、人物を大づかみに描くタイプの画家というイメージがあったのですが、この作品は、蛇のうろことか、表情を必要以上に細かく描いてあったのも、ちょっと新鮮でした。
ま、この手の作品は、細かくかけば描くほどリアルな効果がでるわけですから、ルーベンスの狙いにうまく嵌められた気がしなくもありませんが、とりあえず、インパクトはあったと思います。

…っていうか、急いで見ている時には、宗教画とか、肖像画は、似たり寄ったりで印象に残らないけど、毛色の変わった作品は、インパクトだけで記憶に残っちゃうってことなのかもしれません(^^;
このことは、今日の、鑑賞態度がいかに悪かったかを物語っている気がする(汗)

そういえば、昔、ウィーン美術史美術館に行った時も、ツアーだったので、めちゃめちゃ慌しく、館内を走り回っていた覚えがあります。
ここの作品と私は、そういうめぐり合わせになっているのかもしれません。
今度、見るときには、も少し、余裕のある鑑賞ができるといいなぁ…。

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■2002/12/27 (金) ちょこっと更新

とうとうクリスマスも終わってしまいましたね。
皆様、今年のクリスマスはいかがでしたか??
私は、ちょっと慌しかったけど、全体的には、ほのぼのモードで過ごす事ができました(^^)

そんな感じで、クリスマスも終わったことですし、早速、トップページと日記の壁紙を、通常モードに戻しました〜。

日記の壁紙は今までとは別の壁紙にしてみました。
この方が読みやすいと思うのですが、いかがでしょう?

HPのトップも、別なものに変えようかな〜と思って、探してみたのですが、どれを使っても大改装することになりそうだったので、結局、いままでのものを使うことにしました。

残念ながら、今、リニューアルする時間的な余裕は、とてもないんですよ(^^;
ですから、今年の「小さな国へのみちしるべ」の更新は、おそらくこれが最期だと思います。

日記のほうは、行ったけれど書いていない展覧会が、二つあるので、それだけは、今年中に書くつもり。
三十一日に来ていただければ、おそらく更新してある筈…です。

とりあえず、今日は眠いので、ここまでにします。
おやすみなさ〜い♪

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■2002/12/27 (金) 東京国立博物館 パキスタン・インド彫刻展

東京国立博物館で12月15日までやっていた「パキスタン・ガンダーラ彫刻展」と「インド・マトゥラー彫刻展」。
今月初めにいったんですけど、日記を書くのをサボっていました。
ま、クリスマスも終わったし、新年を祝う前に仏教美術に思いをはせるのも、けっこう良い感じな筈…などど、自分に言い訳しつつ、感想をざっと書いてみようと思います(^^;

この展覧会、東博の平成館の展示室を、仲良く分け合う形で、2つ同時に開催していました。
一応、それぞれが独立した別個の展覧会らしいのですが、料金を一緒にはらったり、ちらしが一枚にまとめられたりと、完全に独立した展覧会とは思えない、微妙さが随所に見うけられました。
いうなれば、実態は一つの展覧会だけど、建前として、独立した展覧会にしましたよ…って感じの展覧会です。
なんで、こんなややこしいことをしたのかという理由は簡単。
インドとパキスタン両国の関係が微妙なものだから、です。

ちらっと聞いたところによると、展覧会のオープニングの挨拶も、時間をずらして、それぞれの国の関係者が顔をあわせないよう配慮したらしいし、よく同時開催できたものだと思います。
多分、別々に開催する方が、関係者の方々も、よっぽど楽だったろうと思います。
それでもあえて、同時開催して、私達に見比べる楽しさを作ってくれたことには、率直に感謝したいと思います。

硬質の黒い色の石に、ギリシャ様式の影響を多分にのこしたデコラティブな装飾をふんだんに盛り込んだガンダーラ彫刻。
赤い色をした砂岩のやわらかな肌合いを生かした、丸みを帯びたおおらかな曲線で形成されたマトゥラー彫刻。

両者を見比べてみると、その様式の違いは歴然としています。
両国の民族の個性の違いがそのままにじみでているような気がしました。
地理的にも近いため、互いに影響を受けていると思うし、その表現が目指したものも同じだった筈なのに、全く似て非なる個性が浮かび上がっていることには、率直に驚きを隠せませんでした。
ある意味、インド大陸の懐の深さを実感させられた展覧会だったと思います。

個人的には、ガンダーラ美術のほうが、細部まで緻密に彫り上げた造形美を見せていて、見ごたえはあったけど、その重厚さが威圧的という印象をうけました。
マトゥラーのあたたかみのある表現のほうが、親しみやすさがありますね。
特に、女の人のグラマーなボディラインは、マトゥラー美術のほうが、せくし〜な感じがします(笑)
インド系の彫刻に登場する女の人って、ほんとグラマーなんですよ(^^;
あれ、ぜったい煩悩の元になると思うんですけど、そういう現世的な楽しさを、臆することなく登場させてしまう、インドの仏教美術って、おおらかで大好きです♪

それにしても、同じ仏教という一つの信仰を表現するのに、どうしてこれほどの多様性が生れてくるのでしょう…?
中国仏教の影響下に花開いた日本の仏像を見なれた私の目には、いつ見ても、インドの仏像ってとても刺激的だったりします。

この様式の差をみているだけでも、インドとの物理的な距離、思想的な距離を感じずにはいられません。
仏教が日本に伝来するまでの壮大なロマンに、つい、思いをはせてしまうんですよね〜(^^ゞ
仏教ほど、様式に多様性のある宗教美術ってあんましない気がします。
で、そこがやっぱり仏教美術のオモシロさにつながってくると、個人的には思っていたりします。

仏像なんて…と思っている人は、一度、インドや東南アジアの仏像を見ることをオススメしちゃいます♪
きっと、こんな表現もありなのか!?という驚きが味わえると思います。

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■2002/12/27 (金) 新刊告知♪

昨日、もうメインページの今年の更新はありません。と書いたばかりなのに、ナンですが、トップページをちょっとだけ更新しました(^^;

今回の更新は、佐藤さとるさんの新刊発売のお知らせです。

佐藤さとるWEBさんなどで、既に話題になっているので、ご存知の方も多いと思いますが、来月佐藤さとるさんの随筆集が偕成社さんから刊行されます。
タイトルは「だれも知らない小さな話」
もちろん表紙は、コロボックルです♪

コロボックルとも関係が深い随筆集のようですので、私のサイトでも取り上げることにしました。

昨日、偕成社さんへリンク許可のメールを出したところ、すぐに許可していただけたので、早速リンクさせていただきました。
偕成社のご担当さま、ほんとうにありがとうございました。

新刊の表紙は、トップページのリンクから見ることができます。
是非ご覧下さい♪

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■2002/12/28 (土) 有元利夫展

今年、私が最後にみた展覧会は、東京ステーションギャラリーで開催中の有元利夫展です。

有元利夫さんは、1984年に38歳の若さで早世した画家です。
フレスコ画や日本画の技法を駆使して作り上げた独自の空間と、そこに描かれたどっしりとした女性の姿は、いまだに本の装丁などに用いられているので、目にしたことのある方は多いのではないかと思います。

私が、彼の作品と最初に出会ったのも、宮本輝さんの小説の装丁でした。
有元さんの作品を用いた装丁は、あたかも、宮本輝さんの描く、生と死を見つめた重厚な世界を、あらゆる現世の法則から解き放たれた、神聖な光と音楽に満ちた世界で、包み込んでいるような心地良さがありました。

その印象が強烈だったせいでしょうか。私にとって有元さんの作品は、神聖なイメージと強く結びついているのです。

嬉しいことに、今回の展覧会図録には、宮本輝さんが文章を寄せています。
輝さんが、有元さんの作品をどう感じていたのかということは、私の密かな関心事だったので、読むときは本当にドキドキしました。
図録を買った理由の2,3割は、宮本輝さんの文章が載っているってことだったと思います(笑)

実は、有元さんの展覧会には、数年前に一度行った事があります。
でも、今回の方が、比較にならないほど、私の心に響いてくるものは、大きかったです。

はっきり覚えているのですが、以前行った展覧会場では、BGMにバロック音楽をずっと流していました。
(有元さんの作品は、音楽を源泉としたものが多いので、そのへんを狙った演出だったのでしょう)
そのときの印象を書いた感想メモには、音楽が良い感じだったと書いてあるんですけど、どうやらそれは、私の判断ミスだったようです。

この人の作品を見るときには、余計な音は必要ないんです。
音のイメージはすべて作品の中にありました。

人の話声が、こんなに煩わしいと思った展覧会は、ここ最近お目にかかったことがありません。
話し声がうるさい時には、耳をふさいで見てました。(…ってかなり怪しい人だったかも(汗))
でもそれ程、現実の音を聞くことで、そのイメージが、かき乱されるのが、耐え難かったんです(^^;

有元さんの作品の中には、見る側の感情をなにもかも受け入れてくれそうな抱擁力があります。
その反面、他の何物をも立ち入ることを許さないような、絶対性が支配しているような気分にもさせられます。
ある意味、これほど、見る側の気持ちで印象が変わる絵はないんじゃないかと思います。

登場する人物も、地上にどっしりと立っている人の方が、重力を感じさせなくて、空に浮かんでいる人が逆に、人としての重みを感じさせる気がするし…。
本当に捕らえどころのない絵なんですよね。

この人の描く人物は、大半が女性なのですが、非常にどっしりとした重みを感じさせるプロポーションをしています。
女としての生々しさが消えて、人間としての重みだけを残しているという気がします。
彼の描く情景の中で、人物が安定した存在感を示すためには、これだけの厚みと重さを感じさせるフォルムが必要不可欠だったことは確かでしょう。
…そういえば彼女たちの姿って、原始社会の大地母神信仰を彷彿とさせるものがあるようにも思えました。

これだけの深みを持つ世界を、20〜30歳代の人間が描くことができたこと自体、信じられません。
よく言われることだけど、この人はやっぱり若くして命を失うことを、察知していたのかもしれません。
こんなに老成した世界は、未来を信じている人には、描けないと思うんです。

84年に描かれた『出現』なんて、仏画の来迎図の構図と酷似しているせいか、来世への旅立ちを暗示している様にしか見えないですしねぇ。。。

死を自覚していたとしか思えないんですよね。道半ばで倒れたというべき年齢の人ではあるのですが、私には、彼の早すぎた死までが、彼の作品の余韻となるべく運命付けられたもののような気がしました。

あと、もう一つ印象に残っていることは、作品の質感です。
彼の作品の質感は、非常に独特で、筆のあとの一つ一つまでが、物語を語ってくれるような、印象があります。
また、古びた風合いを出す様に、わざと絵具を剥落させたり、額に傷をつけたりもしてあります。(いわゆる‘汚し’という作業ですね)
彼の死から二十年ちかい歳月が過ぎ、意図的につけられた‘汚し’は、わざとらしさが抜けて、古びた風合いが、とても自然なものへと変化しはじめているように感じられました。
彼がこの世から去っても、彼の作品は、風化することによって、さらに高らかに、彼の思い描いた世界を歌い上げ続けているようにも見えました。
もしかしたら、彼の作品は、今、時間が最後の仕上げをしてくれているのかもしれません。

あぁ…。語れば語るほど、彼の世界からかけ離れていってしまうようなもどかしさを感じて、焦ってしまいます★

残念ながら、非常にまとまりのない感想となってしまいましたが、とにかくこれは、ほんとに素敵な展覧会でした。

この展覧会で、2002年の幕を閉じることができて、非常に満足してます。
これで、感想がもっとキチンと書ければ言うことないんですけどねぇ。。。(^^;;

なにはともあれ、おそらく、今年の更新はこれが最後だと思います。
この一年、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

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