先週、安田火災東郷青児美術館・・・じゃなくて、 損保ジャパン東郷青児美術館
に行って、ゴッホの影響を探る:個性主義芸術の誕生 ヴラマンク・里見勝蔵・佐伯祐三 展という展覧会を見てきました。
ここ、本社の合併のあおりで名前が変わったようです。
でも、中身はぜんぜん変わってなかったです。
あ、私が行ったのは先月末だったので、旧称の最後の日に行ったのかもしれない。
だとしたら、変って無くても当然なのかな?(^^;
よくわかんないけど★
ま、そのことは、見る側にはどうでもいいことのような気もするので、とにかく展覧会の印象を、ちょっとだけ書いておきたいと思いマス。
この展覧会、同時代を生きたヴラマンク・里見勝蔵・佐伯祐三という3人の画家の関係をテーマにしていることは、伝わってきましたが、タイトルがうたっている、ゴッホの影響については、見ている時には全く意識しなかったです。
…っていうか、ゴッホの作品は、常設の『ひまわり』以外なかったし(^^;;
いくらゴッホがこの美術館の顔とはいえ、タイトルにまで入れる必要はなかったんじゃないかなぁ。。。と、個人的には思いました。
三人の作品を見比べると、やはりブラマンクが、頭ひとつ秀でているという感じ。
色、筆のタッチなど、どこをとっても、素材を自由自在に操って、イメージを作り上げていているという自負が伝わってくるような力強い作品群でした。
それに比べると、彼の影響下におかれている佐伯と里美は、やっぱりチト微妙な感じでした(^^;
佐伯と里美の作品だけにいえることではないのですが、この時代の日本人洋画家の作品って、良くも悪くもやっぱり日本人なんだなぁ…という、こなれていないモタッとした印象を受けちゃうんですよ。
残念ながら、ブラマンクと並べて展示することによって、それが一層際立っちゃったかな?という感じは拭い切れなかったです。
ただし、佐伯のポスターをべたべたと貼り付けた町並みを描く風景画は、ひとつの型として評価はできると改めて思いました。
で、やっぱり日本人なんだなぁと思うのが、ポスターの文字とか建物の輪郭とかに多用されている鋭いエッヂをつけた線が、強く自己主張しているところです。
ゴッホやブラマンクも、筆致の力強さで、見る側を自分の作品の中に引き込もうとしている点は、佐伯と共通しているんだけど、彼らの筆致が、そのまま色面として、画面の一部を形成しているのに対して、佐伯はあくまでも、線が線のまま画面上に存在していて、そのフォルムの美しさで勝負しているって感じがするんです。
これって、やっぱり中国や日本のような、書の型に美を見出し、輪郭をとって画面を構成する文化圏が育んだ画面だと思うんですよね。
佐伯は一度は日本に帰国したものの、日本には描きたいモチーフがないと言って、再びフランスに行って客死しました。
でも、彼の作品をみていると、彼はいつも、自分の作品の中に流れる、日本人としての魂を常に意識して、戦いを挑んでいたような気がします。
思い込みだけで、決め付けることは出来ないことは重々承知しているのですが、肩肘はって、必死で絵筆を握り、作品を仕上げている姿が、画面にじみ出ていることだけは、確かだと思います。
背伸びしている…とでもいうのかなぁ?
画面の中に潜む強がりや孤独感が、私を引きつけて放さないんです。
こういう焦燥感が滲み出る作品って、時代を超えて、人の気持ちを揺さぶる何かを、秘めているんだなぁと、改めて実感させられた展覧会でした。
会期は7月25日まで。一時間程度でみられる規模の展覧会です。
あと、高層階にあるので、新宿の町並みを眺めるのも楽しいと思います(^^)
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