ひまわりの展覧会へのみちしるべ
2004年8月

■2004/08/01 (日) 幻のロシア絵本1920-30年代

東京都庭園美術館で開催しているロシア絵本展に行ってきました。
この展覧会は、最近行った展覧会のなかでも、かなりオススメな感じでした。

ロシア革命という、従来とは全く異なる国家の成立を背景に生まれたロシア・アヴァンギャルドの影響が、こんなにみずみずしい形で絵本のなかに集結していたとは!
私の勉強不足といえばそれまでなのですが、非常に新鮮な驚きと感動がありました。

新しいものを作ろうという時代の機運がそのまま感じられる初期作品から、次第に共産主義のプロパガンダ的な性格を帯びていく過程が、ダイレクトに表れているのも興味深かったです。
本当になんと中身の濃い20年間だったんでしょう!

印刷してある紙は、黄ばんだ質の悪いものだし、使える色も限られていて、おそらくページ数にも制約があったんじゃないかと思います。
けれどもその制約があったからこそ、生まれたとしか思えない、非常に無駄のないシンプルなラインと、研ぎ澄まされた感性を感じさせる画面構成は、今の時代の人間には決して真似できない、不思議な緊張感がありました。
きっとこういうのを時代性というんでしょうねぇ。。。
同じ条件で今、絵本を作っても、このような緊張感はでないんじゃないかと思わせるものがありました。

それまでの子供むけ作品とは一線を隠していて、当時の子供たちの姿や、社会風俗を取り上げているのも、非常に斬新だったのではないかと思います。
また、写真をコラージュした作品や、絵を切り取って立体作品をつくらせる工作絵本など、実験的な要素を含んだ作品が多いのも大きな特徴だったといえるでしょう。
くりかえしていいますが、今の目で見ても新鮮な作品のオンパレード!驚きの連続でした。

たとえば、ソ連の経済政策を教育する目的で作られたことが丸わかりの「5ヵ年計画の光と影」というプロパガンダ的な作品も、内容をどうこういう前に、折りたたんである紙を開いていくごとに、工場が大きくなっていく面白さにおもわず目をうばわれてしまいました。
絵本がいかに教育的に活用できるかということを、逆説的ではありますが、証明しているプロパガンダ作品は、多かったと思います。

そういえば、日本を扱った作品もあったのですが、家の入り口に鳥居がついていたり、中国とのイメージの混合がみられて、なかなか面白かったです。
落語の『寿限無』をベースにしたと思われる「長い名前」という絵本があったのですが、そこに登場する最も素晴らしい名前にしようとして名づけられた子供の名前が「大入道、真っ平入道。。。」などど意味不明な単語の羅列だったのが笑えました。
でも、この時代に日本など多民族の文化を子供に紹介しようとする視点があったこと自体驚くべきことだったといえるでしょう。

特にクローズアップされていたのがレーベジェフという方の作品だったのですが、見覚えがある絵があったので、もしかしたら子供の頃に読んでた?と思い、ネットで調べてみたところ何作か出版されていることがわかりました。
特に、この展覧会でもとりあげられていた、「おろかなこねずみ」という作品(リンク先の絵本に「ばかなこねずみ」というタイトルで収録)は、子供の頃にびくびくしながら読んだ記憶が鮮明に残っているのですが、岩波からは、1950年代にレーベジェフ本人の手によって描き直された、妙にリアルな図版を使って出版されています。
でも、この展覧会でクローズアップしていた1920年代の挿絵のほうが、絶対に怖くないと思うし、イラストとしても圧倒的に洗練されているのは明らかだと思います。
岩波書店さんには、是非こちらの版にリニューアルすることを、強ーーくお願いしたいと思います。
あの絵本、幼ごころにいいしれない恐怖感がありましたので。はい。(^^;

個人的に好きだった作品は、「雲のなかで」という飛行機のパイロットを取り上げた作品。
青い空に白く小さくうかぶ飛行機を地上から見上げている子供達の姿がとても印象に残っています。
でも、残念なことにこの作品、ポストカードにもなっていないし、図録の扱いも非常に小さかったんです。
今回の展覧会で展示されていた作品のうち、10冊ほど復刻されていたんですが、何故か「雲のなかで」のように、復刻されていない作品の方に、欲しい本が多かったんですよねぇ…
つい、私に選ばせてくれーーーって気分になってしまいました(笑)

あと、心残りがあるとすれば、原画が全く展示されていなかったことくらいでしょうか?
おそらく時代の波にもまれて、原画は、ほとんとが現存していないのではないかと思います。
なんといっても、この後、ロシア・アヴァンギャルド芸術は、スターリンの台頭によって、粛清の嵐にまきこまれ、みじめな終末を迎えることになりますから…。
当然、ここに展示されている絵本を創作した作家たちも、その渦中にさらされて、苦難に日々を送ったようです。
さきほど取り上げたレーベジェフの作品が、1950年代にはすっかり萎縮したものになってしまったのもその影響なんです。
非常に勿体無いことだと思いますが、今となっては、これも歴史だと受け止めるしかないんででしょう。
そういう意味で、この展覧会は、ロシア革命の光と影の部分が非常に強く表れていたと思います。

なお、今回の展示されていた作品の多くは、当時の日本のコレクターの方が所蔵していたものだったようです。
そのせいか、日本の近代美術にも、かなりの影響を残していたことも取り上げていて、学術的な検証を行っていた点も、非常に目配りが効いていたと思いました。
この展覧会、いわゆる絵本原画展とも一線を画した、歴史的意義を感じる展覧会でした。

それから、今回の展覧会は、庭園美術館という会場にも非常にマッチしていたと思います。
庭園美術館は、皇族の私邸として作られたアールデコの建物を美術館に改装しているので、一つ一つの部屋が小ぶりで、あまり大きな作品を展示できるような構造ではないんです。
だから、こういう小さな作品を置いたほうが、絶対に生えるんですよね。
特に、壁面の一部に取り付けられたガラス装飾の文様が、今回の作品と相通じるモダンさが感じられて、いいアクセントになっていたと思います。
この展覧会、9月まで開催していますので、ぜひ足を運んでいただけたらと思います(^^)

そうそう。後になって、この展覧会でネットのお知りあいの方とニアミスしていたことが、偶然判明したんです。
リアルの知り合いの方とだって、展覧会会場で会うことはめったにないので、びっくりしました。
ネットのお友だちって、なかなか直接お会いする機会がないので、その場で気が付かなかったことが、とっても残念です。
また今度、ゆっくりお会いしましょうね♪♪(^^)

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■2004/08/04 (水) 聖杯−中世金工の美術

国立西洋美術館で現在開催している特別展、聖杯−中世金工の美術に行ってきました。
西美の特別展としてはかなり規模は小さめで、工芸品を扱っているというのも、珍しい感じがしました。

聖杯というのは、キリスト教の典礼具で、教義上、キリストの血と同一視される葡萄酒を飲むための道具です。
ここでは、12―16世紀にかけて作られて、ドイツ・ザクセン地方の教会に伝来している聖杯や聖皿などの典礼具を紹介していました。
旧東ドイツの教会に対する知識などほとんどないので、正直よくわからないところも多かったのですが(^^;教会装飾と連動していると思われるデコラティブな細工が施された器を、間近に見ることなんて今まで全く無かったので、素直に面白かったです。
展示は、聖杯というものの意味を説明した後、作り方を紹介し、その後、様式の変遷を示したりと、非常に正統な方法で、すっきりとまとめてあったとおもいます。

個人的には、図像を分析したコーナーが一番面白かったです。
細部までみると時代的な様式の違いも見えてくるし、大きなものでも高さ50cmくらい?にもかかわらず、非常に精密な技巧によって聖書の場面や人物を描写してあるので、細かい所を見だしたらキリがない感じでした。
こういう典礼具とか、教会の装飾のような場所に使われる職人の技術って、丹念に作りこまれている分、純粋な信仰心がそのまま具体化してしまったような、神聖さがあると思います。
そしてそれがそのまま今にいたるまで使われているということ自体、信仰のなせる技なんですよね…
キリスト教の伝統の厚みの一端を垣間見た気分にされられる展覧会でした。

常設展も少しだけ覗いてきたのですが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールというバロック時代の画家の作品を、初めてみることができたのは嬉しかったです。
この方、夜の画家と呼ばれることもある、蝋燭の光の中にたたずむ人物を非常に美しく描いた人なんです。
西美の作品は「聖トマス」という作品で、残念ながら蝋燭の光の中で…というタイプの作品ではなかったのですが、それでも彼の力量を垣間見ることができた気がします。
しばらくは、常設展示されているようなので、またゆっくり見にいきたいと思っています。

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■2004/08/05 (木) 横山大観「海山十題」展 発見された幻の名画

国立西洋美術館に行ったあと、そのまま向かったのが東京藝術大学大学美術館です。
今、ここでは、横山大観「海山十題」展を開催しています。
昭和15年に、大観の画業50年と紀元2600年を記念して描いた、海をテーマにした連作10枚と、山(富士)をテーマにした連作10枚をあつめた展覧会です。
この作品、大観の円熟期の傑作として名高いものなのですが、戦後、一堂に介したことはなく、今回初公開のものもあったようです。

私としては、大観って、好きでも嫌いでもない画家なので、これだけの話だったらこの展覧会には多分行かなかった思います。
ただ一方でこの作品、戦争にからんだいわくつきの作品としても有名なので、それがどういうものだったのかという興味だけで、この展覧会に行ってきました。

この作品がどういわくつきだったかと言うと…
まず、完成後すぐに日本橋三越と高島屋で展覧会が開かれ一般にお披露目されました。
しかも、そのときにはすでに買い手も決まっていて、その売上金はすべて軍に献上され、軍はそれで軍用機を購入することになっていたんです。
(売上金は、現在のお金に換算すると20億くらい?だったようです。)
おそらくこの一般へのお披露目というのも、国民への戦費献納をよびかける目的があってことだったのでしょう。
当時、大観は日本画壇における大家でしたし、その影響力は絶大なものがあったことがうかがえます。
これほどあからさまな戦争協力作品ってそうないと思います。

でもこの作品、このエピソードを知らなければ、ほんとうにただの風景画にすぎないのも事実なんです。
しかも、サイズといい、テーマといい、お金持ちが床の間なんかに飾るのに非常に適した作品なんですよねぇ。。。
いい絵の具を使っているらしくて、今見ても非常に色鮮やかで、古びていないのには驚いてしまいました。
戦時中を感じさせるのは、海と山のシリーズごとに、それぞれ一作づつ朝日が登っている作品があることくらいでしょうか?
それ以外は、本当にあー、うまいなぁ。円熟期の傑作といわれるのも納得!としか思えない、非常に健全な作品なんです。

なんというか、、、
おっさん、あなたなーんも考えないで、時流に迎合していただけでしょ??と突っ込みを入れたくなるような能天気さが漂っていて、逆におかしくなってしまいました。
お国のためにこんな目立つ形で協力できて嬉しいな♪って感じしかしないんですよねぇ。。。
しかも画題にあたりさわりがないから、デロデロの戦場場面を描いちゃった藤田嗣治のように、戦後、戦争協力の非難の矢面に経つことも無く切り抜けちゃってますし。
運がいいというか、なんというか、そのへんに絶妙なバランス感覚と嗅覚を感じずにはいられませんでした。

おそらくこの人、戦後は臆面も無く、戦争を非難するようなことを言っているんじゃないですかねぇ?
確かな記憶ではないのですが、「私は、ただ海や山を書いていただけなんですから、それが戦争協力と非難されるのがわからない」というような発言はしていたということを聞いたこともありますし。
今回展示してある作品をみて、たしかに海と山しか描いてないな、と思わず納得しそうになってしまいました。

もしかしたら、大観の年代の人って、戦争で得をして、戦後、その責任を問われずにうまくすり抜けて、その業界の長になった人が多い世代なのではないでしょうか?
そう考えると、長生きすることも、才能の一つなのかもしれないなぁ、、、などと考えずにはいられませんでした。

あと、大観の展覧会をやっているのと、別なコーナーでは、、「江戸から明治の金属芸術」という展覧会もやっていました。
こちらは、明治初期の銅像とか細かい金工の細工物などか展示してありました。
明治美術の一側面を切り取った展覧会なのですが、銅像に関しては、いかにも西洋風に頑張ってますね。という感じがするだけで、なんともパッとしない展覧会でした。

その中で唯一面白かったのが、朝倉文夫の「つるされた猫」という作品。
猫と、猫の首をつかんで持ち上げている手だけを立体で表現している作品なんですけど、なんでこういう切り口の構図で作品を仕上げるかなぁ??というような独特な面白さがありました。
やっぱりこういう独自性がないとつまんないよね♪とつい嬉しくなってしまうような自由さを感じる作品でした。

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■2004/08/08 (日) 仏教美術ってムズカシイ?

大倉集古館で、先月28日まで開催していた展覧会。
国宝で、この美術館の顔ともいうべき、普賢菩薩が、解体して展示してあるという情報を知り、最終日にあわてて見てきました。

普賢菩薩というのは、象にのった仏様で、日本では平安時代、法華経という経典がはやった頃に、作られるようになった仏像です。
ここで、展示してある普賢菩薩は、平安後期につくられた作品で、日本で作られた普賢菩薩像の代表作といわれているものなんです。
金箔を細ーい線状にして、それを貼り付けて文様をつくる載金という技法を駆使した衣装がとても美しい仏様です。
個人的には、かなりお気に入りの仏像です♪

そんな作品を、どこまでバラバラにして展示してあるのかという期待感に胸を膨らましていたのですが、象と仏様がそれそれ別個に展示してあるだけでした。
ちょっと期待しすぎたかな〜と苦笑いしてしまいました。
でも、象の胴体部分とか、普段は見ることができないような場所まで見れたのはやっぱり面白かったです。
とくにいつもは一段低い位置からしか見ることのできない、仏様の顔を、ほとんど同じ目線で見ることができたのは、かなり新鮮でした。

 あと、この展覧会は、ちょっと敬遠しがちな仏教美術を、別な視点から楽しんでもらおうというコンセプトに基づいて企画されていたので、博物館の舞台裏とでもいうような資料がいろいろ出ていたのも、興味深かったです。

例えば、国宝や重文指定のために文部省から出された証書?とか、修復の過程をパネル展示していたり、かなり趣向をこらしていたと思います。
この博物館の元となるコレクションを築いた大倉喜八郎に関する情報もかなり整理して展示してあって、彼のコレクターとしての考え方が理解できるようになっていました。
少々不粋な言い方になってしまいますが、戦前の財閥の財力のすごさは実感できました。
狩野探幽という人が、過去のさまざまな画家の作例を模写した画譜「探幽縮図」なども展示してあって、え?こんなものも持っていたの??という驚きの連続でした。

個人的に一番嬉しかったのは、「普賢十羅刹女図」という絵画を見ることができたことでした。
これは普賢菩薩の周りに眷属として十人(作品の中には九人しか描き込まれていませんが)の羅刹女が描かれている作品なんですが、今回展示されていた作品は、本邦初公開だったそうです。
紫式部日記絵巻に登場するような形式の瓜実顔の女性たちの中央に普賢菩薩が描かれているのですが、こんなに女性っぽいというか、平安美人系の菩薩さまを見たのは初めてでした(笑)
周りの女の人の姿に仏様の方が引きずられている気すらしちゃいました。

この展覧会、すべて館蔵品で構成されていて、パネルなどのつくりを見ても全体的に非常に手作り感のあふれる展覧会でした。
内容的には、仏教美術を敬遠しているような人に楽しんでもらえるようにしようという意欲も出ていたし、非常に面白かったと思います。
ただちょっと残念だったのは、展覧会図録の類が出ていなかったことです。
図録を発行したほうが、この展覧会を見て、仏教美術についてもう少し知ってみたいなぁと思った人には、親切なんじゃないかなぁと思わずにはいられませんでした。

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